【八立神社】中金子村の八龍社~民話と社の歴史~

【八立神社】中金子村の八龍社~民話と社の歴史~


八龍さまの狐の民話


諏訪の昔語りによると、八龍社の神さまは、一国一社信州稲荷の総社、白狐稲荷の代理格にあたるキツネであると云われている。


中金子村の産土神として祀られてきたのが、この八龍社である。


昔々、この八龍さまにキツネが住んでいた。


白狐のお稲荷さまに仕えるキツネが、キツネの中で最も位の高いキツネでした。


八龍さまのキツネは、その白狐さまのキツネの親類にあたり、次の位にあたるキツネでした。


春の雨が降る晩、何もない野の中に突然、ひとつ、ふたつ、みっつと火が現れ、やがて消える。


消えたかと思うと、また点々と火が連なって見えることがあった。


赤沼村の人たちは、「また、八龍さまのキツネの嫁入りが始まった。」と言ったそうである。


また、こんな話が残っている。


街へ用足しに行った八兵衛さが、帰り道で追いはぎにつけられ難儀していた。


ようやく白狐さまのもとまでたどり着いたとき、ちょうど居合わせた八龍さまのキツネがこれを見て助けてくれた。


追いはぎを追っ払った八龍さまのキツネは、大きな尻尾を振りながら八兵衛さを守り、家まで送り届けてくれたという。


さらに、こんな話も残っている。


よくお稲荷さまへ油揚げを供えてくれる家があった。


ある時、この家の子どもが大水の川へ落ちてしまった。


これを見た八龍さまのキツネは、子分のキツネたちを集め、川へ飛び込み、力を合わせて子どもを救い上げてやりました。


大風の吹く晩には、子分のキツネたちを火の番として村中を巡らせ、火事にならぬよう見守らせました。


八龍さまのキツネは、白狐さまのキツネと一所に、村に良いことをもたらすキツネでした。


(郷土第五巻第四十六号 今井黙天氏 八竜様と狐の話による)

出典 諏訪四賀村誌


中金子の鎮守~八龍社の由緒~


中金子村は大きな村ではないが、八龍社を中心によくまとまった集落である。


上金子村へ通じる宮川大橋のたもと一帯は、かつて宮川が大きく曲がっていた名残から「大曲」と呼ばれている。


八龍社の社域は、一抱えもある巨木に覆われ、古くからの由緒を今に伝えている。


社は宮川の土堤に接しており、かつては上社から下された御柱が橋として用いられていたと伝えられている。


現在、八龍社は中金子区のみの鎮守社であるが、往時は金子郷全体で祀られていた社であった可能性もある。


その歴史は古く、嘉禎年間の祝詞段(『諏訪業』八―三―七)にその名が見え、諏訪の神々を斎(いつ)き祝う神楽歌の中にも記されている。


祭神と社名の由来


八龍社の祭神は、上社の祭神、建御名方富命の御孫にあたる八立尊であり、その父は八杵尊である。


大昔、京都から表衣(みそぎ)親王がこの地に下向した折、社の額に「八龍」の文字を賜り、「八龍明神」と称したと伝えられている。


しかし、その額は現在には残されていない。


天保十三年の記録には、御柱に用いられた芋綱三十二尋を一両で調え、御造営に用いたことが記されている。


御柱と中金子村の務め


八龍社で特に知られているのが、諏訪大社上社本宮の御柱休め(古御柱を倒すこと)、古御柱祭である。


それは、本宮や前宮の御柱が御柱祭で新しく建て替えられる際、古い御柱は八龍社の氏子たちの手によって倒され、中金子村の人々が総出で八龍社まで運ぶならわしとなっている。


御柱が倒されることを「御柱休め」といい、これを担うのは八龍社の氏子の務めである。


「神の柱が普通の木に戻される」これが古御柱祭の意義である。


また、新しい御柱が建てられる際の穴掘りや、建てた後の突き固めも、中金子村の氏子の務めである。


古い御柱を本宮から八龍社まで曳き入れる際には、村中総出で行われ、その様子はまるで本祭さながらの賑わいを見せたという。


八龍社の社前に本宮の四本の古御柱が並ぶ光景は、まさに壮観である。


かつては本宮と前宮の両方の御柱が運ばれたが、十七世紀末に中金子村の戸数が減少したため、現在では本宮のみとなったとされる。


その後、古御柱は秋には上社の神官による祭儀が執り行われ、祭りの後、抽選によって貰い手が決まり、縁のある地へ渡されている。


かつては橋などの用材に再利用されていたと伝えられている。


出典 中洲村史


八立神社(八龍社)


祭神は諏訪大社上社の祭神「建御名方富命」の御孫「八立尊」である。
嘉禎三年(一二三七)祝詞段の神楽歌の中に「金子の鎮守八りょうさんそん・・・」と見えるものが最も古い。
昔は金子郷全体の鎮守だったと思われる。
御柱年には本宮の古い御柱の「御柱休め」(倒すこと)をし、その年の御柱を建てる穴掘りの奉仕をするのも中金子氏子の仕事であり、特権であった。
本宮山出しと里引きの間に、区民全体で古御柱を曳航して、八立神社に四本並べ、秋に神事を行った後処分される。
現在の社殿は三間二面、入母屋造りの銅葺、明治四十一年の再建である。
(一八〇〇円を要した。)


境内設置の説明板より

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