【諏訪湖】過去から未来へ~御神渡りの観測記録~

過去から未来へ~御神渡りの観測記録~

諏訪湖の御神渡り(おみわたり)

 

御神渡りという自然現象ができるためには、まず、氷点下一〇度以下の気温が数日間続き、諏訪湖が全面結氷する。

 

氷の厚さが一定に達してくると、昼間の気温上昇で氷がゆるみ、夜間は気温が下降するので凍みて氷が成長し膨張する。

 

氷が膨張と収縮を繰り返すことで、湖面の面積では足りなくなり、ある時、大音響とともに湖面上に氷の亀裂が走り、せりあがる現象が起こる。

 

 

湖を南北に走る最初の筋を「一之御渡り(みわたり)」、二番目の筋を「二之御渡り(みわたり)」、東西に走る筋を「佐久之御渡り(みわたり)」と呼び、筋の交差点は、神がご参会になられる場所とされてきた。

 

【温泉と御神渡り】 諏訪の民話や伝説

 

観察と御神渡りの認定を担っているのは、八剱神社(諏訪市小和田)である。

 

室町時代の嘉吉三年(一四四三)から現在まで約五百八十年間にわたる観察記録が残る神社である。

 

御神渡りが現れた年の冬には、「御渡り神事」が八剱神社の神官により諏訪湖畔で執り行われる。

 

御渡り神事では、亀裂の入り方などを御渡帳などと照らし、その年の天候、農作物の豊作・凶作を占い、世相を予想する「拝観式」が行われる。

 

古式により「御渡注進状」を神前に捧げる注進式を行い、宮内庁と気象庁に結果の報告を恒例としている。

 

室町時代から続く結氷の観測記録

 

御神渡りの判定と神事を司る八剱神社(諏訪市小和田)の宮坂清宮司によると、御神渡りに関する最古の公式記録は室町時代の応永四年(一三九七)にあり、それから約五十年後の嘉吉三年(一四四三)からは「當社神幸記」「御渡帳」「湖上御渡注進録」と、形を変えながら結氷、御神渡りの記録がほぼ途切れることなく受け継がれているとのことだ。

 

御神渡りができなかった年も「明けの海」として記録してきたため、凍った年、凍らなかった年が分かる。

 

かつては時の幕府に報告され、今は宮内庁と気象庁に結果が伝わっている。

 

観察時季と時間は、観察は二十四節気の「小寒」から「節分」までで、日の出前の午前六時半から始められ、八剱神社の宮坂宮司、氏子総代により氷の観察が行われる。

 

毎朝、氷点下一〇度を下回る厳しい寒さの中、総代たち係の人達が氷を割り、厚さを測る。

 

記録を重ねてきた先人たちの思いに頭が下がる。

 

近代的な観測が始まる前の気候について国内はおろか、世界でもあまり手掛かりがないため、英国の権威ある科学雑誌「ネイチャー」をはじめ学術誌などでも紹介されている。

 

長期に及ぶ観測の記録が、途切れることなく続いている例は世界的にも珍しく、気候変動などについて研究する国内外の研究者が注目している。

 

“異常”から“普通”になった「明けの海」

諏訪市博物館 特別展『 写真で振り返る諏訪市の80年 』の写真より

 

全面結氷する国内の湖で諏訪湖は最も南に位置している。

 

諏訪湖は地球温暖化の影響が「凍らない」という形で目に見えやすい湖といえる。

 

宝徳三年(一四五一)から五十年ごとに区切って「明けの海」だった回数を見ていくと、昭和二十五年(一九五〇)までで「明けの海」だった時は、それぞれの時期で多くて数回だった。

 

天文二十年(一五五一)~元禄十三(一七〇〇)の百五十年間で「明けの海」はたった二回であった。

 

諏訪湖は凍ることが当たり前、「明けの海」が異常だったのである。

 

昔は冬に諏訪湖が全面結氷しないこと、御神渡りができないことの方が珍しかった。

 

ところが昭和二十六年(一九五一)からはがらりと変わり、平成十二年(二〇〇〇)年までの五十年間で「明けの海」は二十二回。

 

平成十三年(二〇〇一)以降はさらに増え、令和二年(二〇二〇)までの二十年間で十三回を記録した。

 

二十一世紀に入ってからは御神渡りができる方が珍しくなっている。

 

 

一昔前は、湖面を分厚い氷が覆っていて、「冬は湖上でスケートをした」「氷の上を歩いて対岸まで渡った」と懐かしむ地元の年配者は多い。

 

戦前には、冬の諏訪湖には軍の飛行機が離着陸したり、戦車が走ったりしたことがあったそうだ。

 

世界でも珍しい観測記録

 

 

福井県美浜町と若狭町の間にある『水月湖』は三方五湖の中でも一番大きな湖である。

 

実は水月湖は、地質学や考古学における年代決定の世界基準となる年縞(年縞堆積物)がある場所である。

 

年縞(年縞堆積物)とは、七万年以上の歳月をかけて積み重なった湖や沼に体積した土などの層によってできた縞模様の湖底堆積物のことを言いう。

 

水月湖の年縞は、いくつかの奇跡が重なってできた世界的に珍しい貴重なもので、年代ごとの正確な放射性炭素の量がきっちり整った「ものさし」で、考古学や地質学におけるに年代測定の「世界標準のものさし」として採用されている。

 

 

結氷、御神渡りの記録については、荒川秀俊氏が論文の中で「世界でもまれな季節現象資料であり、長期予報の研究上、非常に重要なものと断言してはばからない」と評価している。

 

現在も、すでに公表されている資料を基にした記録の再検証を行うとともに、各種研究に活用されている一九五四年発行の藤原咲平・荒川秀俊両氏によるデータベースを最新版に更新する試みが行われている。

 

【諏訪の七不思議】 諏訪の悠久の歴史を知る
【温泉と御神渡り】 諏訪の民話や伝説

 

 

御神渡りの記録が残る前、平安時代から鎌倉時代は「中世温暖期(八〇〇~一三〇〇)」にあたり、八〇〇年代には坂上田村麻呂による東北遠征が行われている。

 

これは、温暖化の影響で稲作の北限が拡大した結果、稲作農民の開拓者と東北の森で狩猟や畑作を営む蝦夷との生活圏が衝突したことが根本的な原因と考えられている。

 

歴史や過去からの蓄積された情報で、太陽黒点の減少など太陽表面で起こるわずかなさざ波、地球のほんのわずかな傾きの変化、火山噴火など大規模な自然災害が、地球レベルで人類に影響を及ぼしていることが分かってきている。

 

地球温暖化現象は、産業革命後の人類が生み出したCO₂の増加だけに求めるのではなく、天文学、地球物理学、気象学とあらゆる方面からの見地で研究が進むことを期待したい。

page top