国宝「土偶」が2体もある博物館
縄文時代の国宝に「土偶」がる。
数ある土偶の中で、国宝に指定されているのは、長野県棚畑遺跡出土「縄文のビーナス」、山形県西ノ前遺跡出土「縄文の女神」、北海道著保内野遺跡出土「中空土偶」、長野県中ツ原遺跡出土「仮面の女神」、青森県風張1遺跡出土「合唱土偶」、の5体である。
その内の2体が、尖石縄文考古館で展示している。
縄文のビーナス
国宝土偶「縄文のビーナス」は棚畑遺跡(たなばたいせき)で発掘された。
棚畑遺跡は、霧ヶ峰の南斜面の山裾に広がる米沢地区にあたる。
現在は工場の入り口に棚畑遺跡の碑と案内版が設置されている。
棚畑遺跡は、米沢(よねざわ)埴原田(はいばらだ)の工業団地の造成に伴い、昭和61年に発掘された、市内でも最大規模の遺跡である。
この遺跡からは、縄文時代の前期から江戸時代までの生活の跡が見つかっている。
特に今から約4000年から5000年前といわれる、縄文時代中期と呼ばれる時代については、「縄文のビーナス」をはじめ、膨大な量の遺跡が出土した。
発見された住居址は150軒以上、完全に復元された縄文土器は600点にも及んだ。
縄文のビーナスは中期の第500号土壙から出土している。
この土偶もその広場の中の土壙と呼ばれる小さな穴の中に横たわるように埋められていた。
全体像は下方に重心がある安定しており、高さ27センチメートル、厚さ9.2センチメートル、重さ2.14キログラムの立像土偶である。
仮面の女神
「仮面の女神」の愛称をもつこの土偶は、茅野市湖東の中ッ原遺跡(なかっぱらいせき)から出土した。
現在は土偶の出土した公園として整備され、公園内に「仮面の女神」の出土状況のジオラマが展示されている。
身がほぼ完存する大形土偶で、顔に仮面をつけた姿を思わせる形であることから、一般に仮面土偶と呼ばれるタイプの土偶である。
今から約4000年前の縄文時代後期前半に作られたようである。
遺跡は、中央の土壙郡を囲むように竪穴式住居址が配された環状集落の構成をとり、土偶「仮面の女神」も、竪穴住居に囲まれた墓などが作られる中央部の坑に横たえるような状態で発見された。
縄文時代中期から後期の長期にわたり、多くの住居が作られていることや、土偶、ヒスイ飾り玉を副葬する墓などが作られていることを考えると、この地域の中心的なムラであったと思われる。
尖石縄文考古館
茅野市の尖石縄文考古館は、尖石遺跡のある史跡公園内に作られた博物館です。
国宝土偶の「縄文のビーナス」と「仮面の女神」やその他の土器、蓼科や霧ヶ峰で採れる黒曜石で作られた石器など、2000点以上の縄文の遺跡を間近に見られるように展示されている。
常設展示室と特別展示室に分かれている。
展示物はある程度自由に写真撮影が出来る。
常設展示室A 特別史跡尖石遺跡
日本で初めて縄文時代のムラが発掘された遺跡と発掘を行った宮坂英弌氏の研究業績を紹介
常設展示室B 縄文のビーナス(国宝)と仮面の女神(国宝)
国宝土偶の「縄文のビーナス」と「仮面の女神」を中心に出土状況や模型や写真を使って展示している。
常設展示室C 八ヶ岳山麓の縄文文化
八ヶ岳山麓に栄えた縄文文明の遺物、5000年~4000年前の縄文土器を中心に展示している。
常設展示室D 縄文時代の暮らし、学習コーナー
縄文時代の衣食住や四季折々の暮らしぶりについて、模型や映像、体験学習を通じて体感できる展示室になっている。
特別展示室
常設展示では紹介しきれない収蔵品を期間限定での展示や、特定のテーマをもった展覧会を開催している。
尖石
尖石史跡公園の南斜面に「尖石(とがりいし)」がある。
高さ1m余りの三角錐状の大きな石で、頭の部分に人工的な溝がある。縄文人が石器を研いだ石ともいわれている。
尖石遺跡の名前の基となった巨石である。
与助尾根遺跡の復元住居
与助尾根遺跡は、宮坂英弌により、縄文時代中期の竪穴住居址28個所が発掘された遺跡です。
このうちの一時期に存在したと考えられる縄文集落の復元をこころみ、6棟の復元住居が建設されている。