【諏訪の七不思議】 諏訪の悠久の歴史を探る。

諏訪の七不思議

2018年2月御神渡り神事

 

諏訪地域には「諏訪の七不思議」という伝説や昔話が伝わっている。

 

主に諏訪大社の行事や神事に関わる不思議な現象や事柄を扱った内容である。

 

各地の史跡でも、伝説や昔話によってのみ伝わっている場所やものが多くある。

 

そこには何かがある。

 

祖先の思いが伝承され、次の世代へと語り継がれてきた。

 

しかし、時代の移りかわりにより、それらの話に関心を持たなくなり、語り部も次第に少なくなってきている。

お神渡り(おみわたり)

2018年2月御神渡り上川側最初の神事

 

毎年極寒の夜、諏訪湖が全面に凍り、明け方に大きな音とともに、南の岸から北の岸へかけて、氷が裂け割れ、左右から盛り上がる。

 

昔は高さ30センチメートルから1メートル80センチメートルもの氷の山脈をつくった。

 

現在は温暖化の影響か全面結氷することも少なくなり、なかなか「お神渡り」を見る機会が少なくなっている。

 

「お御渡り」とは諏訪大社上社の建御名方命(タケミナカタノミコト)が、諏訪大社下社の八坂刀売命(ヤサカトメノミコト)のもとへ、通われた道筋だといわれている。

 

「お御渡り」があると、昔から小和田の人たちが、氷の山脈の走り具合を調べる。このことを拝観(はいかん)といい、その結果を嘉吉三年(1443年)から、毎年必ず幕府に注進(報告)している。

 

現在も、古式により「御渡注進状」を神前に捧げる注進式を行い、宮内庁と気象庁に結果の報告を恒例とし、600年間気象現象を記録し続けている。

 

これは世界で最も継続している歴史記録であり、いかに気候が変化しているかを我々に伝えてくれている。

 

「お御渡り」によって、その年の農作物の吉凶を占うことは、今も続いている。裂けている方向が、上諏訪寄りの年は豊作、岡谷寄りの年は不作といわれている。

 

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元旦の蛙狩り(がんたんのかわずがり)(上社)

諏訪大社上社御手洗川の蛙狩神事の場所

 

一月一日、諏訪大社上社の神人(かみびと)が斧鉞(ふえつ)をもって神前を流れる御手洗川の氷をくだいて、土を掘ると、必ず蛙が出てくる。

 

そのうちの2匹を捕らえて小弓をもって射、贄として神前に供える神事を「元旦の蛙狩り」という。

 

毎年必ず蛙が二、三匹は出るので不思議とされている。

 

この神事は、蛙が古代人の貴重な食料品だったので、年の初めに、まず、お明神様に捧げたとも、狩りや農耕の豊作を祈るため、諏訪神の御狩り始めの儀式であるとも、諏訪神の竜神、蛇神信仰により、祭神の好む蛙を供えるともいわれる。

神野の耳裂け鹿(こうやのみみさけじか)(上社)

神長官守矢資料館内の耳裂け鹿

 

三月の酉の日(現在は四月)に行われる御頭祭の神事のとき、諏訪大社前宮の十間廊では猪、鹿の頭七十五、本膳七十五、御神酒七十五樽を神前に供える。

 

「神野(こうや)」とは、八ヶ岳山麓の広野で新撰として供える贄を捕る狩場のことである。

 

毎年、神野(こうや)の狩りでとって、供えた鹿の中に、必ず耳の割けた鹿があったという。

 

酉の日に行われることから「酉の祭り(とりのまつり)」ともいわれる。

五穀の筒粥(ごこくのつつがゆ)(下社)

令和3年1月諏訪大社下社筒粥神事

 

一月十四日夜、五穀(米・麦・粟・黍(きび)・豆)を筒と一緒に、釜に入れて煮、筒に入れる穀物の多少によって、その年の五穀の稔り方を占う神事を、「五穀の筒粥」という。

 

鉄釜に二升の水を入れ、白米五合、小豆二合と、長さ約十五センチメートル、太さ一センチメートルくらいの葦の筒四十四本を、麻ひもで簀子(すのこ)状に編んだものを入れて煮る。

 

さらに水を加えて徹夜で、小豆粥を焚き、十五日の早朝葦を取り出して、葦の筒四十三本の一本一本を割りさき、中に入っている粥の分量の多少によって、四十三種の農作物の豊凶を占い、最後の一本は、その年の世の中の吉凶を占う。

 

昭和二十年ころまでは、諏訪の農家をはじめ、遠くは下伊那、松本、安曇、佐久、小県から泊りがけで、占いの結果の発表を聞きに来たという。

 

そして、この占いにしたがって耕作したという。

御作田の早稲(みさくだのわせ)(下社)

諏訪大社下社の御作田の早稲

 

毎年、六月三十日に藤島の社で行われる神事で、神田に苗を植えれば、三十日間でみのり、八月一日には、穂が出て神前に供えたという。

 

わずか三十日にしてよくみのるというから不思議である。

宝殿の点滴(ほうでんのてんてき)(上社)

諏訪大社上社天流水社の宝殿の点滴

 

諏訪大社の茅葺の宝殿から毎日丑の刻(午前二時)になると、必ず決まったように雫が落ちてくるという。

 

これはどんな酷暑の日でも決して絶えたことがないといわれる。

 

土地の人たちはこれを「社頭(しゃがしら)の雨」といい、この下にある「天竜の井」というのが、天竜川の源(みなもと)と伝えられている。

 

この水をいただいて、田に入れれば、一年中水の枯れることがないといわれている。

 

この水を「ご天水」といって、山梨、松本、安曇、伊那や、遠く新潟、富山からも、竹の筒を持って、いただきにきたという。

葛井の清池(くずいのせいち)

茅野市上原葛井神社の12月31日神事風景

 

毎年十二月三十一日、その年に上社の神事に使った道具類や、供物を葛井の池(茅野市上原、葛井神社)の水底に、沈めてこれを祀った。

 

この池は底なしといわれ、沈めたものは翌朝、遠州(静岡県)の鎌田の池へ浮き上がると言い伝えられている。

 

この池の魚は、みんな片目であるといわれている。

 

また、池に落ちた木の葉は、すぐ沈んでしまうそうだ。

 

地の底で通じている「通底伝説」~葛井の清池~

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