湖底に沈むつり鐘と音防鯰
鯰坂(なまずさか)と「音防(おとぼう)」
諏訪湖の水が流れて天竜川となる、その口元に花岡という村がある。
その近くの湖は水神淵といって、諏訪湖の中でも大変深いところでした。
この淵には六尺以上あるという大ナマズが住んでいた。
この大ナマズは、夜はひっそりと湖の底深くもぐりじっとしていますが、昼間になると、水の上に浮かび上がり、湖の岸を歩いている人や、湖の上で魚を取っている人に襲いかかり、一口に食い殺すと大変恐れられていた。
この話を聞いて、花岡村の山の上においでになる龍神さまは大変心配され、何とか大ナマズを懲らしめてやりたいと思いました。
そして、家来の音防(おとぼう)に命じて退治させることにしました。
音防(おとぼう)は、魚のように泳ぎ、どんな恐ろしい獣でも素手で負かしてしまうという豪傑者でした。
さっそく、音防(おとぼう)は水神淵に出かけると、大ナマズは、待っていたとばかりに飛びかかり、湖の中に引っ張りこみました。
音防(おとぼう)も負けてはおらず、大ナマズと激しくつかみ合い、両方とも血だらけの戦いになりました。
音防(おとぼう)は、最後に大きなげんこつで大ナマズの眉間をいやというほど殴りつけ、でっかいお腹を上にして気絶させました。
龍神さまに見せようと、自分の背より長い大ナマズを引っ担いで、花岡村の坂を上っていくと、今まで死んだようにダラッとしていた大ナマズが、急に力を込めてひと跳ねしました。
さすがの音防(おとぼう)も不意を食らって飛ばされ、その隙に、大ナマズは水神淵の底深く潜ってしまいました。
それから後、音防(おとぼう)がナマズを担いでのぼった坂を、「鯰坂」と呼ぶようになった。
湖底に沈むつり鐘
その後、しばらくは何事もおきなかったが、また、大ナマズは人間を見れば襲いかかり、手が付けられなくなり、人々は「困ったことだ」と言っていると、不思議なことが起こりました。
花岡村のすぐ隣の小坂村の小坂観音のつり鐘の音は、とっても美しいということで知られていました。
ある夜のこと、鐘突き堂にしっかりとつけられている小坂観音のつり鐘が、ひとりでに外れ、観音堂の崖を転がり落ちて諏訪湖の底に沈んだのです。
小坂の人たちは大騒ぎです。
あくる朝、村人は舟を漕ぎ探すと、鐘は湖の底に、ちゃんと座ったように沈んでいました。
村人は、引き上げようとするが、どうしても引き上げることができないので、あきらめてそのままにしておくことにしました。
その後から不思議なことに、あれほど荒びまわった大ナマズがピタリと静かになり現れなくなりました。
村人の中から、湖の中に沈んだ小坂観音のつり鐘が、大ナマズの上に覆いかぶさって動けないようにしているのを見たという人が現れました。
村人は感謝し観音様のつり鐘がないこと寂しいと相談し、湖に沈んだつり鐘とそっくりのつり鐘を作って納めました。
さて、その後のこと。
今度は真夜中の湖中から、ひっきりなしに鐘を鳴らす音が響くことがあった。
この鐘の音がした後は、必ず国に大きな変事が起こるのだそうだ。
近くでは日清・日露戦争の起こる前にさかんに鳴り響いたという。
あの鐘が覆いかぶさり、閉じ込められた大ナマズが鐘を鳴らしているのだと言う人もいる。
小坂観音の民話や伝説を知りたければ、こちらを参考にしてほしい。
「ものがたり」が交差する場所【小坂観音院】
諸説あり
出典 諏訪のでんせつ 竹村良信 著
鯰坂(なまずさか)と「音防(おとぼう)」(民話)
御堂小屋に、「音防」という、力自慢の男が住んでいました。
村の人々は、「近頃、天竜川に、大きな鯰が現れて、悪さをして困る。漁が、ちっともできない」と、嘆いていました。
そこで、音防は、川へ飛び込んで、大鯰と格闘をして、やっとのことで、大縄でしばり上げ、「やっこらさ」とかついで、坂を登り始めました。
ところが、背中で大鯰は、あばれだし、縄を切って、川へ逃げこんでしまいました。
その時、「音防さらばじゃ」といったといわれています。
この坂を「鯰坂」と、今も言い伝えられています。
平成17年度いけいけ山っ湖事業委員会
散策コース・遊歩道整備事業コミュニティー部会設置の説明板より