もう一人の現人神(あらひとがみ)
諏訪には現人神(あらひとがみ)がいた
現人神(あらひとがみ)とは何かと言うと、この世に人となって表れた神様、生き神様のことである。
諏訪では諏訪明神の依り代として諏訪社の頂点に位置していた役職で、大祝(おおほうり)と呼ばれた。
現在では「古事記」「日本書紀」より、神の血筋に連なる神武天皇からの直系、天皇陛下のみの尊称として使われている。
今から約150年前の「明治維新」は、西洋列強の覇権に対抗するため、いわゆる中央集権の国づくりを始めた。
「富国強兵」「殖産興業」の名のもと近代化を推し進め、外国の侵略を阻み、日本は一等国へと成長を遂げた。
しかし、その裏で、「廃仏棄却」「神仏分離」など江戸時代まで続いてきた文化は弾圧された。
そして、先の大戦における敗戦と、占領政策による敗戦後の価値観の変化により、諏訪に住む人々は、連綿と続く大切な何かを忘れてしまった。
それは目に見える形あるものではなく、諏訪の人々が受け継いできた目に見えない歴史のことである。
神々からの系譜
天皇家の始祖は天照大神(アマテラスオオミカミ)とされる。
天照大神(アマテラスオオミカミ)は数多ある自然神の中で太陽を司る最高神である。
神話では天照大神(アマテラスオオミカミ)は孫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に地上を統治するように命じ「天孫降臨」を行う。
そして、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の曾孫が初代天皇の神武天皇である。
そこから数えて、126代目となる天皇陛下が令和の時代の今上陛下とされている。
神話からの話を証明することは困難である。
本当かどうかは別として、先祖が神様であるという文脈を天皇家が背負っていることは事実であり、血統を守り、現在まで天皇という権威を受け継いできている。
もう一人の現人神(あらひとがみ)はどうかというと、「古事記」の国譲り神話に出てくる大国主神(オオクニヌシノカミ)の第2子の建御名方神(タテミナカタノカミ)である。
高天原が遣わした建御雷神(タケミカヅチノカミ)に力比べで負けて諏訪湖まで追い詰められ、国譲りを承諾した神である。
その子神である伊豆早雄命(イズハヤオノミコト)の流れをくむ五百足(イオタリ)の夢に、大明神(建御名方神)が「汝の妻が身ごもっているのは男子であり、成長したらこれに憑こうと思う」お告げがあり、そのお子が8歳の時に、大明神(建御名方神)が現れて「我には別体なし。汝をもって我が体とせよ」といって身を隠されたとしている。
また、「神氏系図」(復刻諏訪市料叢書)の後書きを要約して系図化すると建御名方神(タテミナカタノカミ)から続いている。
上社大祝は古代から江戸時代に至るまで代々世襲され「諏方」または「神(みわ)」姓を名乗り、中世には諏訪の領主として、政治権力も握っていた。
江戸時代に入り藩主諏訪家と大祝諏方家に分かれ祭政一致から正教分離がなされ、明治時代を迎え神官の世襲制度が廃止されるまで大祝職は続いた。
権威と権力
権威と権力とはどう違うのか、調べてみると「権威」とは「他の何ものとも代えがたく、万人が認めて従わなければならないような価値の力」であり、「権力」とは「万人を支配する力」である。
「権威(天皇)と権力(時の権力者)」を別の表現を使えば、「天皇と殿様」、現在で言えば「天皇と内閣」と言ってもよいでしょう。
日本の神話、古事記などから「日本社会」は、お金でも、権勢でも、宗教や哲学が教える価値観でもなく、「人」が一番の宝だとしている。
日本国民全体を「大御宝(おおみたから)」と言い、天皇にとって神話から続く親戚、一族、すなわち、日本国民全体の命が一番の宝だった。
だからこそ、天皇は国を代表して国家、国土の祭祀を行う祭主として「私」のない「公的」存在として考えられてきたのである。
2600年の伝統を繋げていく中で、朝廷は権力を承認することで時の権力者たちを利用し、時の権力者たちは、朝廷と持ちつ持たれつの関係を維持し、天皇の権威を借りることで国をまとめ、政権を維持してきた。
諏訪圏域の権威が「大祝(おおほうり)」ならば権力は誰になるかと考えると「神長守矢家」になる。
諏訪には「古事記」の国譲り神話と似た内容だが、建御名方神(タケミナカタノカミ)が漏矢神(モレヤノカミ)という地元の神を打ち破って諏訪に鎮座した話がある。
敗北した洩矢神(モレヤノカミ)は諏訪の統治権を譲り、忠誠をちかい、その中で祭政を司るようになる。
神長守矢家は文字のない時代からある「ミシャクジ神」の祭祀権を持っており、神降ろしや、神の声を聞く力は神長官のみが持つものとされ、諏訪氏が諏訪明神(大祝)になるには神長官守矢氏の力が必要であった。
大祝の即位式を含め神事の秘事を伝え、それを取り仕切る一族であったため、信仰及び政の実権は守矢家が持ち続けることになったのである。
悠久の歴史
日本には皇室がある。
それは、一つの歴史的な飾りのように思っていて、その恩恵が日本にいるとよく分からない。
世界の人々には、日本は立派な皇室というものがあり、国民が上手くまとまっていることは、素晴らしい事だと羨ましがられる。
現在、世界の中で君主国は27あるが、その中でエンペラー(Emperor)と名乗れるのは日本の天皇陛下ただ一人である。
かつてヨーロッパにはローマ皇帝の系譜を継いでいた皇帝がいたが、今はキング(King)である。
エンペラーとは神話、信仰、歴史、伝統、言語を受け継ぎ、国民を一体にまとめている存在なのである。
他の国の人たちがやろうとすれば、今から1000年、2000年と作っていかなければならない。
この国柄は、先人たちの苦労の上、私たちに引き継がれ、現在にいたる。
私たちはこの尊い価値観を持った国柄を、喜びと誇りをもって将来に引き継いでいかなければいけないのである。
もし、我々の時代に損なうようなことがあれば、ご先祖様に対して、また、将来の子孫に対し、申し訳ないと恥ずべき気持ちになるのではないだろうか。
翻って、諏訪の現人神(あらひとがみ)は、明治維新をむかえ神社制度が変わり、神職の世襲が廃止され、民籍にはいられた。
諏訪社では大祝職をはじめ多くの神職が今までの資格を失い、大祝は神事に関わることができなくなり、「生き神」とも称された最高神職は名のみとなった。
その後、大祝家の当主は権禰宜として諏訪大社に奉職した記録があり、地元のお年寄りからは「世が世ならば大祝様なのに、学校の先生をしながら普通の神主をしていらした」との話がある。
諏訪の人々は、諏訪の中心(大祝)を忘れてしまったのである。
君主は民をしり、民のために祈りをささげ、民の生活を第一に考えることが良き君主の務めとしたならば、民の側も君主の安寧と弥栄を願い、敬わなければ君主は消えてしまうのである。
旧大祝家は平成14年(2002年)直系が途絶え、諏訪から現人神(あらひとがみ)は消えたのである。