【御座石神社】いにしえの神事を伝え神酒を醸す

いにしえの神事を伝え神酒を醸す 御座石神社

御座石神社

 

御座石神社(ございしじんじゃ)は、長野県茅野市本町東にある諏訪大社の境外摂社である。

 

矢ヶ崎という村落の郷社で、昔は鬼場城を後にして、前には上川を隔てて粟沢矢はぎの森に相対し、社地内に大石があったといわれ、宝石(たからいし)とも御座石ともいわれた。

 

祭神は建御名方命の御生母の高志沼河姫命を祀っている。

 

社名の「御座石」については古来一定の用字がなく、『諏訪大明神画詞』の諸写本に「御沓石宮」「御座居所」「御斎所宮」などとある。

 

また、『年内神事次第旧記』には「御最所」、『諏訪神社祭典古式』には「御座石宮」、『諏訪上社物忌令』には「御座石」とある。

 

『諏訪神社明細帳』によれば、高志沼河姫命が高志の国から鹿に乗って諏訪入りの節、大門峠を越えて来られ、社内の石にその鹿の足跡が残っていると記されている。

 

石面のくぼみが鹿の足あとと言われ、また、この石に腰を掛けて休息したと伝えられている。

 

現在でも、拝殿前の石に鹿の足跡といわれる窪みがある石が、社地の入口に御履石という大石が残っている。

 

【諏訪の国づくり~御母神の諏訪入り~】 諏訪の民話や伝説

 

御座石神社とどぶろく祭

 

昭和四十二年二月一日 無形文化財指定
昭和四十四年十一月一日 史跡指定

 

御座石神社は、諏訪明神建御名方命の御母神高志沼河姫命を祭神とする諏訪大社上社の摂社である。
はじめ、命の御住居の地というので「御座所宮」「御斎所宮」等と呼ばれていたが、いつか御座石神社に変わったと伝えられる。
むかし、諏訪明神は高志の国(越後)から母神をこの地に迎えられた。
母神は鹿に乗り大門峠を越えて来られ、社前の石におり立ち、旅の履をはきかえられたと伝えられ、今に拝殿前の石に足跡と、神社入口に御履石という石が残っている。
諏訪明神と由緒深い宮というので、古くから重要な祭事が行われ、今日まで古式の姿を残している。
祭事は四月二十七日で、どぶろく祭・うど祭また矢ヶ崎祭ともいう。
祭事に使われる火は、出雲大社と同じ形の火切臼(檜の板)と火切杵(卯木)で発火し、柴と河原石で窯を築いて煮ものをする。
どぶろくを醸し、また必ず鹿肉と、どぶろくの粕であえた独活を神前にそなえ、参拝者にもふるまう。

 

平成十五年三月
茅野市教育委員会設置の説明板より

 

高志沼河姫命

糸魚川海岸海望公園の奴奈川姫とその子建御名方神の像

 

高志沼河姫命(コシヌナカワヒメノミコト)は、八千矛の神=大国主命(オオクニヌシノミコト)と婚したと伝えられる女神で、この地方では、一般に諏訪明神の母神と信じられていた。

 

「旧事記」に建御名方神は高志の沼河姫の出とあるからと思われる。

 

七年に一度、諏訪地方の神社は、社殿や祠に御柱と呼ばれる柱を建てるのだが、御座石神社では御柱を建てない。

 

これは女神であるからと言う。

 

その代わりに、七年毎に鳥居の立て替えをする。

 

黒丸大鳥居と呼ばれ、松の丸太の柱に笠木、貫は柱の外側に出ないようにし、額束(がくづか)を作らず島木もしないし、柱に転びもなく古式のままのものであるとしている。

 

御母神の諏訪入りの際についた鹿の足跡がある石

 

この石には、御座石神社の御祭神である高志沼河姫命が、この地に乗って来られた鹿の足跡がのこるとされている。
諏訪明神建御名方命は高志の国(越後)から母神沼河姫命をこちらに迎えられた。
母神は鹿に乗り大門峠を越えて来られ、この石に腰を掛け休息したと伝えられている。
どぶろく祭りの際には、幣帛を捧げる大切な石である。
石の横にある説明板より

 

神酒を醸す

令和4年の濁酒祭準備風景

 

御座石神社の祭事は四月二十七日に「どぶろく祭」と言われる例祭が行われる。

 

またの名を「矢ヶ崎祭」「独活(うど)祭」ともいう。

 

その起源は古く、嘉禎四年(一二三八)の『守矢文書(もりやもんじょ)』や『諏訪大明神絵詞(すわだいみょうじんえことば)』に矢ヵ崎祭と記載があり、大社大祝(おおほうり)の軍陣発向の祭りとして描かれている。

 

やがて近世になると独活祭(うどまつり)と呼ばれるようになり、平田篤胤の『古史伝二十三之巻』には一般参詣者にも独活(うど)の粕和えが振舞われたとの記述がある。

 

現在のようにどぶろく祭りと呼称されるようになったのは昭和の時代に入ってからである。

 

祭りの起源伝承には、諏訪明神が八ヶ岳山麓へ狩りに出た折、母神がどぶろく、鹿肉、うどの粕和えで息子神をもてなしたという話や、諏訪明神がある年の大晦日、母神のもとへ挨拶に行って帰る途中で夜が更けてしまったので、やむなく土産にもらったどぶろくを開き、一人で大歳明けを祝ったとの話も伝承されている。

 

 

火は火切り臼(うす)により発火せし物を用い、濁酒(どぶろく)を醸して使用することから濁酒祭とも言い古式を残している。

 

祭には、濁酒(どぶろく)の他、必ず鹿の肉と独活(うど)を用い酒糟にあえて神前に供えた。

 

祭当日は、神官氏子惣代等、供物を荷いて塚原大年神社に詣でて祭事を行い、来拝者に供物を分かち、その後、塚原犬射原にて犬追物の行事があり、再び御座石神社へ帰ると、盛大なる濁酒振舞の祭事を行って豊年を祈った。

 

現在も、大年社、犬射原社に濁酒(どぶろく)の奉納が行われ、神事を諏訪大社から参向された神職が行っている。

 

その後、御座石神社に戻ってきて例大祭を行い、午後の「どぶろく祭」は区のお祭りとして、皆で濁酒(どぶろく)を神前で酌み交わすお祭りとして古き神事を今に伝えている。

 

濁酒(どぶろく)祭

 

御座石神社にあるこの醸造蔵は、日本で唯一神社境内にて濁酒を醸造することができます。本町区の氏子から選ばれた濁酒当番三名により、四月二十七日の濁酒祭に向け、三月より濁酒の仕込みが開始されます。
濁酒祭は嘉禎四年(一二三八)鎌倉時代前期から行われていると諏訪大明神画詞に記されています。
お祭りは、例大祭終了後神社境内に於いて、本町区の氏子に濁酒が振る舞われ盛大な祝宴が執り行われます。
氏子たちはこの年の濁酒の味を賞味します。

 

令和四年四月吉日
御座石神社設置の説明板より

 

出典 土俗より見た信濃小社考 小口伊乙 著

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