御柱とは

R4年御柱祭本宮3の建御柱

 

御柱祭(おんばしら)の正式名称は「式年造営御柱大祭」という。

 

「御柱祭」とは、宝殿の作り変えと伴に、寅と申の年の七年目毎に、諏訪大社(上社の本宮、前宮、下社の春宮、秋宮)の四つの社殿の四隅に「御柱」と呼ばれる樹齢二百年程の樅の巨木を曳建てる、諏訪大社では最大の神事である。

 

勇壮さと熱狂的ぶりで、天下の大祭としても全国に知られている御柱祭は古く、八〇五年、桓武天皇の時代の記録より、信濃国一国をあげて奉仕がなされ、盛大に行われてた。

 

現在でも諏訪地方の氏子二十万人以上がこぞって参加し、熱中するお祭りである。

 

御柱祭は上社、下社それぞれに山から直径約一メートル、長さ約十七メートル、重さ十トンにもなる巨木を八本切り出し、人力のみで里まで曳行する。

 

上社は八ヶ岳の中腹から上社までの約二〇キロの距離を、山出しに三日、里曳きに三日、計六日かけて曳きそして建てられる。

 

R4年御柱祭本宮3境内鳥居

 

その途中、上社の場合は「木落し」と「川越し」の二つの難所を越えなければならない。

 

下社は八島高原近くから下社までの約一〇キロの距離と短いが、崖を落ちる危険な「木落し」が待っている。

 

「木落し」や「川越し」はたくさんの観衆が見守る中で、男たちの度胸試しにふさわしい壮観な見せ場になっている。

 

御柱祭が記録に見えるのは垣武天皇の御代(平安時代初頭)であるが、それよりも前からあったと神事と推察できる。

 

ただし、現在のような御柱祭の形になった時期は不明であり、古代の生贄の儀式が、木で代用されたのが始まりなのかもしれない。

 

令和4年度御柱祭前宮1御柱

 

諏訪大社の御柱が終わると、諏訪地方では、神社という神社、街角の小さい祠や道祖神にはじまり、境内社の一つ一つに至るまで、ほぼすべての神社で御柱の建て替えが行なわれる。

 

このことを小宮祭と呼び、諏訪の人々の御柱年は、諏訪大社の御柱祭から始まり、小宮の御柱祭で終わる。一年中御柱に携わる年となる。

page top