白駒の池と女神
茅野から八ヶ岳を越えて佐久へ通ずる道中、中山峠に賽の河原というところがあります。
中山峠は現在は登山者の道として知られている程度だが、その昔は大勢の人の往来があった峠であった。
そこに、長者と美しい娘が住んでいました。
大変な山の中でありましたが、二人は、峠を越える旅人が苦しんでいるとき泊めてやり、助けてやりました。
ある日、長者が病にかかり寝込んでしまい、容態はどんどん悪くなるばかりでした。
娘は昼も夜も忘れて看病しました。
ある朝早く、長者は娘をよんで「わしの命は、もう二、三日の命だ、幸せに暮らせよ。」そう言いました。
娘は、あまりの悲しさに泣きつづけていると、外からしきりに戸を叩く音がしました。
激しく叩くので開けてみると、一頭の白い馬が手紙をくわえて立っていました。
手紙には、「わたしは、八ヶ岳に祀られている女神です。」
「あなたのお父さんの命はお終いになっているが、お父さん思いのあなたの願いをきいて、命を延ばしてあげましょう。」
「この白駒に乗って黄色い花の咲いてるところを探し、そこへ、お父さんを連れていき養生させなさい。望みがかなっても家に戻っては行けません。」
「同じように病気で苦しんでいる人がたくさんいます。」
「その人たちをここに連れてきて救ってあげなさい。」と書かれていました。
娘は手紙の通り、白駒に飛び乗りあちらこちら探しました。
白駒は矢のようにすごい速さで山をかけ登り、谷を下り、崖をよじ登り、岩を飛び越え、八ヶ岳中探し続けましたが、どこにも見あたりませんでした。
しかたなく、とぼとぼと引き返り、硫黄岳の辺りまできたときです。
大きな岩のかげのところに、黄色い花が一面に咲いているのを見つけました。
それは硫黄の湯の花でした。
父さんを連れてきて、小さな家を建てて、ここで病気を直すことにしました。
黄色の湯の花を熱いお湯に浸し、そのお湯をお父さんの体につけてやりました。
すると、女神の言葉通り、長者は日一日と良くなり、もとの元気な体を取り戻しました。
娘は、女神の手紙の約束通り、ここに残り病気の人を救おうと思っていました。
でも、しばらく生活していたが、この場所は暮らしにくく、病人を連れてきて救ってやるのはとても大変で、悪いと思いながらも前の家へ帰ってしまいました。
それから、しばらくは何事もなく過ぎました。
ところがある日の夜明け、おもての戸を叩く音とともに、白駒が現れました。
娘は、すうっと、ひとりでに馬の背に乗せられました。
白駒は山の頂きの方へどんどん駆けました。
やがて、林で囲まれた静かな池のほとりの大きな岩の上に立ちました。
白駒は山中に染み込むように一声嘶いたかと思うと、娘を乗せたまま池の中に飛び込んで消えてしまいました。
それから、この池を「白駒の池」と呼ぶようになりました。
そして、女の人がこの池に顔を映して洗うと、たちどころに長者の娘のような美しい顔になると伝えられています。
諸説あり
出典 諏訪のでんせつ 竹村良信 著