【火の雨伝説】~ジジ穴とババ穴~
ジジ穴古墳・ババ穴古墳
下諏訪町の上下水道貯水池付近、天白地籍に二つの小さな古墳がある。
一つは上下水道貯水池南西側の土手にあり、「ジジ穴」という、もう一つは花見新道より上下水道貯水池に登る右側にあり「ババ穴」といっている。
少し離れて並ぶ横穴式石室は「ジジ穴古墳」「ババ穴古墳」と呼ばれ、石室の口が露出している。
ジジ穴古墳
ババ穴古墳
このあたりは天狛(てんぱく)古墳群として数々の古墳があったが、多くは破却され、ジジ穴古墳、ババ穴古墳の二基だけがのこった。
大昔、火の雨が降って来た時、ジジ穴に逃げこんだ男と、ババ穴に逃げこんだ女の人だけが助かり、今の下諏訪の人は、この二つの穴に逃げ込んだ人たちの子孫だといわれている。
創世神話に似た伝説がある。
ジジ穴古墳・ババ穴古墳
このあたりは天伯古墳群として数々の古墳があったが、多くは破却され、ここにジジ穴、ババ穴の二基だけがのこった。
末期の円墳で火の雨がふったとき、男はジジ穴へ、女はババ穴に逃げこんだ人だけが助かり、今の人々はみんなその人たちの子孫だという。
下諏訪町教育委員会設置の説明板より
出典 信州の民話伝説集成 南信編 宮下和男 編著
出典 下諏訪町誌民俗編
火の雨伝説とは
「火の雨」とは何か、想像するといくつか思いつく。
火山の噴火
山火事
異星人の襲来
「火の雨伝説」は調べてみると各地に存在する。
高野山の押上石
激しい火の雨が弘法大師の母を襲った時、石を押上げて母をかくまったという大師の手形が残っていとか
「火の雨塚古墳」
長野県佐久市桑原にある直径10m、高さ3.5mで横穴式石室。
『佐久口碑伝説集』によれば、今からおよそ400年前、浅間山が大噴火をして溶岩や熱灰が落下し、まるで火の雨がふるような有様でした。
土地の人達は皆あわてて洞穴を造って、この中に逃げ込んだとか。
また別の説では、武烈天皇が大変に横暴な振舞をしたため、天の神様がこれを見て怒り、火の雨を降らしたとも伝えられる。
「火塚古墳」
岐阜県加茂郡坂祝町酒倉の石室は墳丘の南側に開口する両袖型の横穴式石室で全長約13m、墳形は1段目が36m×42m、2段目が径約23mの上円下方墳
昔々、火の雨が降った時に石室内に避難したという言い伝えに由来する。
「火の雨塚」
大阪府八尾市の高安千塚古墳群の横穴式石室の古墳。
火の雨を避けるために造られたという伝説が残っている。
「火ノ雨塚」あるいは「山の神古墳」
静岡県駿東郡長泉町下土狩原分の直径約17mの円墳
ここからは人骨のほか、家形石棺片・銀象嵌の鍔・円頭柄頭・金銅装大刀・馬具・土師器・須恵器など多くの副葬品が出土したとか。
「火雨塚古墳」
山梨県韮崎市藤井町北下條にも、古墳時代後期(1450~1500年前)の古墳
ここに残る言い伝えでは、かつて富士山が大爆発したときに、爆発によって降り注ぐ「火の雨」を避けるために造られた石室のひとつであったとか。
ただし、そこ富士山から相当遠く、火山弾などがここまで飛んでくることはないはずだとか。
「火の雨」が降るという伝説は、いったい何を物語っているのだろうか?