【狼の供養塔】 諏訪の民話や伝説

狼の供養塔

 

中新田の北の入り口、庚申の森の西県道下の尾根に、「お犬様」といわれる狼の供養塔がある。

 

昔、この辺りは、夜になると狼が民家の周りにまで来て、鶏や飼い兎などを捕ったり、時には人間も食い殺されることもあった。

 

村でも財産家のある家で、八月(やつき)(奉公人)の若者が、早朝薄暗いうちに田んぼの水見に行った。

 

朝飯近くになってもまだ帰らないので、心配になって主人が鎌を手にして見に行くと、田の水口辺りから血が点々と落ちて、近くの森へ続いていた。

 

驚いて駆け込むと、若者は狼に噛み伏せられて食われているところだった。

 

狼は主人を見ると飛びかかってきた。

 

豪胆な主人は鎌を振るって狼に立ち向かい、いく個所も噛み傷を受けながらも、ついに狼を打ち殺した。

 

その死骸を、村の北の辻に台を作ってよしずみの上に晒した。

 

人畜に害をした狼は晒すのが習慣だったからである。

 

その後、どうしたことか、この家に不幸が続いたので、行者を頼んでご祈祷をしてもらった。

 

すると、晒さえた狼が行者に乗り移って、「若者を食い殺したので殺されても仕方ないが、いくら畜生狼でも死骸を晒されるとは恨みである。それゆえ祟るのだ。」と言う。

 

そこで、主人は、この行者によって狼供養のご祈祷をしてもらい、「お犬様」の供養塔を建てた。

 

その後、この家は栄えるようになったという。

 

 

管狐(くだきつね)

 

その他に中新田には、管狐(くだきつね)という話もある。

 

管狐というのは、姿は見えないが、小さな狐で、修験者や行者が飼いならし、ご祈祷する際、呪文を唱えて神仏に伺いを立てるとこれに答えてくれる。

 

これを行者の口から神のお告げと言い、予言のようなことをしたが、そればかりでなく、人に乗り移って原因不明の病気となり、日々震えをおこし、正気でなくなり、うわ言を口走る病人を出した。

 

文政二年(一八一九)ころから中新田に管狐の障りが始まって、毎年多くの村人が大変悩まされた。

 

また、安政二年(一八五五)五月から疫病がはやり、管狐の障りがあって村中難儀した。

 

村相談の上、災い除けのお札をお迎えすることに決め、弥右衛門と清右衛門の両人が、ご領主の書状を持参して京都の吉田家へ行き、管狐のご禁札を受けてきた。

 

その後、中新田には管狐の災いはなくなり平穏になったという。

 

諸説あり

原村誌 下巻

信州の民話伝説集成 南信編 宮下 和男 編著

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