諏訪の古代信仰
諏訪には古来七不思議という神秘的な伝説が伝わっている。
これに続いて諏訪の七木・七石という霊木・霊石とよばれるものがある。
自然崇拝、動植物崇拝、呪物崇拝等、諏訪地方に於ける宗教思想の起源は、原始信仰までさかのぼるのである。
諏訪の七不思議や七木・七石が文献に見えたのは、鎌倉時代の嘉禎三年(一二三七)の「上社物忌令」に見えてくるのが最初であるといわれている。
諏訪には古い洩矢族と深いつながりを持つといわれる「ミシャクジ信仰」があり、地主神・地母神として、諏訪の各地に「御社宮司社」がある。
「ミシャクジ」の祀られている所には必ず古樹が茂り、その木の根本には祠があり、御神体として石棒が収められている。
「ミシャクジ」は湛木(たたえぎ)を伝って降りてきて、御神体である石棒に宿ることになる。
これらは古代の諏訪信仰を示すものである。
タタエは湛の字を当てているが、民俗学者折口信夫氏によると、タタエはタタリ(祟り)であり、この言葉には「出現」の意味があったという。
諏訪の七木
桜湛木(さくらのたたえぎ)
茅野市玉川粟沢天白社境内にある。
寛政(一七八九)の初めごろ朽木となったという。諏訪神社とは由緒深く、神事のおこなわれたところである。
諏訪の七木七石を研究された田中積治氏によると、いにしえより諏訪神社御頭祭に「神使御頭=酉の祭」の後数日「廻湛」の神事として郡内及び伊那郡を神使の一行が巡廻して湛神事を行う例があって、その昼湛の神事をおこなったのがここではないかとされている。
この地には記念碑がたてられている。
柳湛木(やなぎのたたえぎ)
茅野市本町の石田・竹村両氏の祝神様の近くの田圃にあり、数十年前に朽木となったという。
柳湛木の神事のおこなわれたところという。
桧湛木(ひのきのたたえぎ)
茅野市玉川神之原七社明神社(しちしゃみょうじんしゃ)境内にあったといわれている。
七社明神の神事に続いて串とお洗米捧げ、神事を行ったという。
史跡祉の石柱が建てられている。
橡木湛木(とちのきのたたえぎ)
諏訪郡原村室内の闢盧社(あきほ)社境内にある。
数十年前に枯死してあとかたもないが、境内に「橡ノ木湛」の遺跡がある。
いにしえには古木の根元に神人が集い、その周りを廻って祭事をおこなったという。
闢盧社(あきほしゃ)
闢盧社は、諏訪大社上社に属する十三の摂社のひとつであり、食物を司る「保食神(うけもちのみこと)」を祭神として祀る。
以前は諏訪十郷と呼ばれた地区が交代で祭祀に当たっていたが、室内新田創立以来は室内区の氏神として祭祀が行われている。
社の名称は諏訪神長官守矢文書によると、秋尾、秋庵、秋穂、闢庵、闢盧等といろいろなものが見られるが、いづれも読み方はアキホである。
また闢盧社の歴史は古く、同文書によると嘉禎四年(一二三八)九月申日、秋尾御狩神事(あきほみかりしんじ)が行われたことが記されている。秋尾御狩神事は諏訪大社、年四度の御狩神事のひとつで九月下旬に行われたが、現在では八月二十六日から三日間にわたって行われる御射山狩祭の際、第一日目の上り祭として諏訪大社上社の神職によって執り行われ、御射山神社祭神のひとつである大元尊神(だいげんそんしん)(國常立命(くにとこたちのみこと))の神輿が、当日の朝諏訪大社上社を出発し、闢盧社に立ち寄り、神事を行う。
現在の神殿は明治四十一年(一九〇八)平林勝四郎によって建てられ、社殿に入っている。
子の社殿は昭和五十五年に諏訪大社下社の宝殿を移築したものである。
原村教育委員会設置の説明板より
檀湛木(まゆみたたえのき)
諏訪市湖南真志野にある。
真弓湛の木「檀湛木」は「やごんば塚」の五十メートル位下方にあって、口伝では「まゆみたたえの木」といわれる。
諏訪の七木中の一本だといわれているが枯死してしまった。
社地は古くから三つの社があって、「八幡社」「稲荷社」「天満社」でそれぞれ氏子が祭りをしていた。
流鏑馬社(やぶさめしゃ) 真弓湛木(まゆみたたえぎ)・真弓塚(まゆみづか)
御祭神 伊豆速雄神(いずはやおのかみ)(洲羽若彦命の兄神、諏訪大神の第二御子神)
習焼神社の例祭は諏訪神社(諏訪大社)上社の例大祭(御頭祭/酉の祭り)の七日後、辰の日に、野焼きとともにここに流鏑馬社周辺の馬場で小笠懸・射礼を行うことが通例であった。
現在は四月二十二日、習焼神社から行列を仕立て流鏑馬社に至り、神事・射礼を行う。
「真弓湛木」は当社前の田の中にあったと伝えられる。諏訪神社の「上社物忌令」の中の七木七石の中に真弓湛木が記されている。
御社宮司社の依り憑く斎場として、上社の重要な祭祀場所であった。
流鏑馬社の西続きの地を「真弓塚」ともいう。
設置の説明板より
松湛木(まつのたたえぎ)
諏訪市中洲神宮寺宮田渡にある。
神宮寺宮田渡大祝家の脇にあり、七木の一本として、往古は諏訪神社によって神事がおこなわれていた。
数十年前に枯死し、今は畑地となっていて跡形もない。
峯湛木(みねのたたえぎ)
茅野市宮川小町屋にある。
前宮の社前から右に折れて行くと、小町屋の七堂墓地があって、その上の横道を登ると中腹に巨木として昔の面影を残して現存している。
いにしえには諏訪神社に於いて前宮の神事とともに神事を執り行ったという。
峰たたえのイヌザクラ
イヌザクラは山地に自生するバラ科の植物で、夏期は五月、白い小さな花を総状花序につける。
花序の軸に葉のない点がウワミズザクラと異なる。
一つ「峰のタタイノ木」にあたり、同書に「此木共ノ本ニテハ皆々神事有」とあり、また、「諏訪大明神画詞」にも「先峯多々江其の後前宮の神事」とあることから、古くこの場所で神事が行われたことがわかる。
ここを通って大祝が前宮に通ったと言われるが、その道は一部がおもかげを止めているのみである。
このイヌザクラは市内の同種では最大で、六十三年四月の雪で北側の大枝が折損したが、なお風格あり、七木たたえ木の伝承を今後に伝えるにふさわしい名木である。
茅野市教育委員会設置の説明板より
出典 すわ歴史散歩 柳平千彦 著
出典 諏訪の七石七木 田中積治 編著