諏訪大社前宮を歩く

H28の4月諏訪大社上社前宮の前宮本殿

諏訪大社前宮

諏訪大社上社本宮や下社秋宮、春宮には本殿がなく、前宮だけに本殿がある。

 

高台で豊富な水や日照が得られる良き地で、御祭神が最初に居を構えられ、諏訪信仰発祥の地と伝えられている。

 

前宮は神殿(ごうどの)といって、建御名方神(たけみなかたのかみ)の子孫とされる現人神(あらひとがみ)である諏訪大社大祝(おおほうり)の居館があったところであり、重要な儀式が行われる場所でした。

 

この神殿のあった地域を神原(ごうばら)と言い、代々の大祝職位式および旧三月、酉日(とりのひ)の大御立座神事(おおみたてまししんじ)(酉の祭)をはじめ、社の重要な神事のほとんどが、この神原(ごうばら)で行われた。

 

現在でも御頭祭(酉の祭)が前宮の十間廊で行われているなど、重要な神事は前宮で行われる。

 

境内には内御玉殿(うちみたまでん)、十間廊(じっけんろう)、御室社(みむろしゃ)、若御子社(わかみこしゃ)、鶏冠社(けいかんしゃ)、政所社(まんどころしゃ)、柏手社(かしわでしゃ)、溝上社(みぞかみしゃ)、子安社(こやすしゃ)等がある。

諏訪大社前宮を歩く

遊歩道でつなぐ前宮本宮散策マップスクショ

 

茅野市公民館学習専門委員会が平成28年度に作成した「上社前宮てくてくマップ」その後、茅野市と諏訪市の公民館で作成された「遊歩道でつなぐ前宮・本宮散策マップ」を参考に諏訪大社上社前宮周辺を歩いてみた。

 

茅野市中央公民館-茅野市ホームページより-

 

上社前宮てくてくマップ(茅野市宮川安国寺)[PDFファイル/5.5MB]
上社前宮てくてくマップ(茅野市宮川高部)[PDFファイル/8.2MB]

 

遊歩道でつなぐ前宮・本宮散策マップ(解説面)[PDFファイル/2.8MB]
遊歩道でつなぐ前宮・本宮散策マップ(マップ面)[PDFファイル/2.0MB]

 

荒玉社(あらたましゃ)

R2の6月諏訪大社上社前宮の荒玉社

 

今回は、前宮前信号付近にある無料駐車場からスタートする。

 

無料駐車場内に「荒玉社(あらたましゃ)」の祠がある。

 

宮川添いの田んぼの中にあった祠をこの場所に移築している。

 

荒玉社(あらたましゃ)

 

「新御魂社(あらみたましゃ)」とも書き、原始農耕の神事としての田の神を降し、稲の御霊をまつる社で上社の重要な摂社である。

 

古書によれば正月元日にはまず大祝以下の神官氏人が参詣し、週礫二月晦日の春祭のさいしょにあたり神使(こうのど)が出仕して「野出の神事」が行われたとあり現在も続いているが簡単な神事だけになっている。

 

なおこの社の造営は、古来より山浦の中村郷の役であった。

 

安国寺史友会設置の説明板より

 

溝上社(みぞがみしゃ)

R2の6月諏訪大社上社前宮の溝上社

 

正面正門を通りすぐ右側にあるのが「溝上社(みぞがみしゃ)」である。

 

建御名方命の母の高志沼河姫命(こしぬなかわひめのみこと)を祀るお社。

 

かつては水眼の清流がここまで流れていて、みそぎの池の中にあった。

 

溝上社(みぞがみしゃ)

 

祭神は高志奴奈河比蕒命(こしやなかわひめのみこと)といわれ、御射山へ出発する際にまず参詣された社であった。

 

水眼の清流をたたえた「みそぎ池」のなかにあり、西の方に「神の足跡石」があった。

 

この社は武田支配時代には山浦の南大塩郷によって造営奉仕がされていた。

 

安国寺史友会設置の説明板より

 

社号標

初夏の諏訪大社上社前宮の社号標

 

前宮の入口の「(官幣)大社諏訪上社前宮」の社号標は、横に「元帥伯爵東郷平八郎謹書」と彫られている。

 

建御名方命は戦の神でもありますから、寄進者から東郷平八郎元帥に「ぜひ書を」とお願いしたと考えられる。

 

若御子社(わかみこしゃ)

H30の4月諏訪大社上社前宮御頭祭の若御子社

 

神原(ごうばら)内の社務所前にある社である。

 

若御子社(わかみこしゃ)

 

諏訪明神とあがめられる建御名方命(たけみなかたのみこと)の御子達を合祀しているといわれる。

 

諏訪大社関係には、きわめて優れた古記録、文書が多いが、その中でもっとも名高い文書に「諏訪大明神絵詞」がある。

 

室町時代にあらわされたこの文書の中に正月一日、大祝以下の神官氏人はみな衣服をただしてまずこの若宮すなわち若御子社を荒玉社と共に参詣したとある。

 

現在は諏訪神社の末社となっている。

 

安国寺史友会設置の説明板より

 

十間廊(じっけんろう)

H30の4月諏訪大社上社前宮御頭祭の十間廊

 

様々な神事を行う場所で、四月十五日の御頭祭(おんとうさい)は最も重要である。

 

かつては鹿の頭七十五頭や山海の幸が積み上げられた。

 

農作物豊穣を祈る特殊神饌の「御頭祭(おんとうさい)」(「大御立座神事」とも「酉の祭」とも言われる)は、鹿の頭が剝製に代わったものの、現在も4月15日に行われる。

 

「本宮」での神事執行後、神輿行列を仕立てて「前宮」に赴き、この「十間廊」で古式により進められている。

 

御頭祭では泉野の中道・槻木の氏子が奉仕している。

 

十間廊(じっけんろう)

 

古くは「神原廊(ごうはらろう)」と呼ばれ、中世まで諏訪祭政の行われた政庁の場で、すべての貢物(みつぎもの)はこの廊上で大祝の実見に供された。

 

毎年四月十五日の「酉の祭」には鹿の頭七十五が供えられたが、これらの鹿の中には必ず耳の裂けた鹿が入っていることから諏訪の七不思議のひとつに数えられた。

 

上段に大祝の座、次に家老、奉行、五官の座があり、下座に御頭郷役人(おとうごうやくにん)などの座も定められ、左手の「高神子屋(たかみこや)」で演ぜられる舞を見ながら宴をはった。

 

安国寺史友会設置の説明板より

 

内御玉殿(うちみたまでん)

H30の4月諏訪大社上社前宮御頭祭の内御玉殿

 

鶏冠社で即位した大祝が、神宝である「真澄(ますみ)の鏡」を胸に飾り、「弥栄(やさか)の鈴」を打ち降って民の前にお出ましになったお社である。

 

神宝が安置されていたといいます。

 

現在は、4月15日「十間廊(じっけんろう)」での「御頭祭(おんとうさい)」終了後に、「内御玉殿祭」がおこなわれている。

 

内御玉殿(うちみたまでん)

 

諏訪明神の祖霊がやどるといわれる御神宝が安置されていた御殿である。

 

「諏訪明神に神体なく大祝をもって神体となす」といわれたように、諸神事にあたってこの内御玉殿の扉をひらかせ弥栄の鈴をもち眞澄の鏡をかけ馬具をたづさえて現れる大祝はまさに神格をそなえた現身の諏訪明神そのものであった。

 

現在の社殿は昭和7年改築されたものであるが以前の社殿は大正十三年に造営された上社関係では最古の建造物であった。

 

安国寺史友会設置の説明板より

 

御室社(みむろしゃ)

R2の7月諏訪大社上社前宮の御室社

 

戦国時代まで、ここに土室を作り、穴巣始(あなすはじめ)という冬ごもり神秘的な神事が行われていた。

 

蛇の形をしたミシャグチ神の御神体とともに祭事を行ったといわれる。

 

祭祀の都度に祭場の「室」を造り、終わると取壊して原状回復するのが本来の形だといわれるが、中世以降は廃絶した諏訪信仰の神事のため詳細は不明だという。

 

御室社(みむろしゃ)

 

中世までは諏訪郡内の諸郷の奉仕によって半地下式の土室が造られ、現人神の大祝や神長官以下の神官が参篭し、蛇形の御体と称する大小のミシヤグジ神とともに「穴巣始(あなすはじめ)」といって、冬ごもりをした遺跡地である。

 

旧暦十二月二十二日に「御室入り」をして翌年三月中旬寅日に御室が撤去されるまで、土室の中で神秘な祭祀が続行されたという。

 

諏訪信仰の中では特殊神事として重要視されていたが、中世以降は惜しくも廃絶した。

 

安国寺史友会設置の説明板より

 

鶏冠社(けいかんしゃ)

R2の4月諏訪大社上社前宮の鶏冠社

 

本殿に向かう前に右に曲がって、民家の入り口にこの社はある。

 

大祝(おおほうり)の職位式が行われた、秘密にして聖なる地である。

 

神長官である守矢氏により、山鳩色の装束を着て、現人神としての大祝になる儀式が行われた。

 

装束を着る儀式を御衣着(みそぎ)の式といい、その様式は誰にも見られなかったという。

 

鶏冠社(けいかんしゃ)

 

柊(ひいらぎ)の宮、楓(かえで)の宮、つかさの社、とさかの社、鶏神(けいがみ)等さまざまに呼ばれているが大祝(おおほうり)の職位(即位式がとり行われた磐座(いわくら)があり前宮諸社のうちでもっとも重要な秘所であり聖地であった・。

 

萱(かや)むしろを敷き簀(す)を立てまわし雅楽吹奏のなかで山鳩(やまばと)色の装束をつけて呪印(じゅいん)を結び四方を拝して諏訪明神の御神体として現人神(あらひとがみ)となる大祝(おおほうり)の即位式がとり行われた遺跡地である。

 

古くは上伊那郡非持山室郷の奉仕によって造営されていた。

 

安国寺史友会設置の説明板より

 

諏訪照雲頼重(すわしょううんよりしげ)の供養塔

R1の5月諏訪大社上社前宮の諏訪照雲頼重の供養塔

 

南北朝時代、足利尊氏らに奪われた鎌倉を、北条時行を擁して一時期奪還した信濃勢の総大将だった武将。(鎌倉の三日天下)

 

諏訪照雲頼重の供養塔

 

この地は、もと「大祝様御屋敷地」といわれた神殿に近く、明治初年に五輪塔および多宝塔の石造物残欠が多数出土し、付近住民によって私有地の一角に保存されてきた。

 

当時は五輪塔火部に「照雲」との銘が判読できたという伝承があり、中世前期の形式をそなえた貴重な歴史的遺物である。

 

照雲とは上社大祝をつとめた三河入道頼重のことで「太平記」にも名をとどめ、建武二年(1335年)7月14日に北条氏再興をはかってこの地に決起し、北条時行(高時の遺児、亀寿丸)を擁立して「中先代の乱」を戦い鎌倉を占拠した信濃勢の総大将であった。

 

しかし、足利軍の大軍に敗退し、8月19日、ついに勝長寿院大御堂にて壮絶な自害をし果てたと記録されている。

 

近年これら石造物も風化損傷がひどくなり地元保存会が補修整備を行ったものである。

 

安国寺史友会設置の説明板より

 

またも来た道にもどり本殿を目指す。

 

前宮水眼(まえみやすいが)公園

R2の8月諏訪大社上社前宮の前宮水眼公園

 

御室社の裏に「前宮水眼広場」として令和2年より公園が整備されている。

 

「交流センター前宮」内の資料展示コーナーに諏訪大社、御柱祭、地元の史跡の説明パネルが展示されている。

前宮本殿

H28の1月諏訪大社上社前宮の前宮本殿雪バージョン

 

前宮だけに本殿があり、本宮や春宮、秋宮には本殿はない。

 

現在のお社は、昭和七年に伊勢神宮の遷座祭後のお社の用材が移築されたものである。

 

それ以前の社殿は茅野市北山糸萱に移築され、折橋子之社(おりはしねのしゃ)となっている。

 

かつて前宮は諏訪大社の摂末社のトップの位置付けでしたが、明治後期から本宮と同格の扱いとなっている。

 

諏訪大社上社前宮本殿

 

前宮とは上社本宮に対し、それ以前にあった宮の意味とも考えられている。

 

前宮の祭神は、「建御名方命(たけみなかたのみこと)」と、その妃「八坂刀売命(やさかとめのみこと)と古くから信じられ、ここ前宮の奥に鎮まるところが墳墓と伝えられる。

 

古来より立ち入ることが固く禁じられ犯すときは神罰があると言われた。

 

四方には千数百の歴史を有する御柱が七年毎に建てられ、現在の拝殿は昭和7年に伊勢神宮から下賜された材で造営されたものである。

 

安国寺史友会設置の説明板より

 

水眼の清流

R2の8月諏訪大社上社前宮の前宮名水水眼の清流

 

神殿のみそぎの水として使われていた。

 

水源は約一キロ先の上流の断層から湧いている。

 

名水「水眼(すいが)」の清流

 

古くから「すいが」と呼ばれ、山中より湧出する清流は、諏訪大社前宮の神域を流れる御手洗川となり、昔からご神水として大切にされた。

 

中世においては、この川のほとりに精進屋を設けて心身を清め、前宮の重要神事をつとめるのに用いたと記録されている。

 

この水眼の源流は、これより約一キロメートルほど登った山中にあるが、昭和5年に著名な地理学者「三沢勝衛先生」によって、はじめて科学的調査がされ、その優れた水質は「諏訪史」第二巻に取り上げられている。

 

安国寺史友会設置の説明板より

 

御柱

H28の6月諏訪大社上社前宮の前宮2の御柱

 

本殿四隅に立っている。

 

四本の柱すべてに近づいて触れるのは前宮だけである。

 

御柱のことを知りたければ、こちらに書いたので参考にしてほしい。
【御柱とは】 諏訪信仰の古き歴史を知る。

 

 

本殿を参拝して戻ってもよかったのだが、御頭御社宮司総社まで鎌倉道(かまくらみち)遊歩道を散策してみた。

 

峯の湛え

R2の7月諏訪大社上社前宮周辺の峰の湛え

 

前宮本殿を川沿いに少し上がっていくと鎌倉道(かまくらみち)遊歩道という看板があり細い山道に入っていく。

 

しばらく歩くと「訪の七木」ひとつ峯の湛え(みねのたたえ)出くわす。

 

讙木(たたえのき)とも言われ、かつて湛えの神事が行われた場所ですが、峯の湛え以外はなくなっている。

 

この場所に春の農耕神が降りたとされ、湛えの神事が行われた。

 

原始には巨木や巨石などに降りてくる神を信仰の対象としており、ミシャクジ神と言われた。

 

現在は諏訪の七木である樹齢約二百年のイヌザクラを信仰の対象にしている。

 

イヌザクラの先代は松の木だとも言われる。

 

諏訪の七木を知りたければ、こちらに書いたので参考にしてほしい。
【諏訪の七木】 諏訪の悠久の歴史を知る。

 

前宮公園を過ぎ高部の交差点の上の方に出てくる。

 

 

もし車があるようならばそのまま上の方に上って行くと「磯並社(いそなみしゃ)」や「小袋石(おふくろいし)」がある。
R2の7月諏訪大社上社前宮周辺の小袋石

 

「諏訪の七石」の一つである

 

諏訪の七石を知りたければ、こちらに書いたので参考にしてほしい。
【諏訪の七石】 諏訪の悠久の歴史を知る。

 

 

歩いて行くには少し遠いので今回は行かないで「御頭御社宮司社」を目指す。

 

「高過庵」、「低過庵」、「空飛ぶ泥船」、建築家藤森照信氏の作品を見ながら下ってくると「神長守矢史料館」が見えてくる。

 

大祝諏方氏墓地の石碑から奥に入っていくと「御頭御社宮司総社」が見えてくる。

御頭御社宮司総社

H29の8月諏訪大社上社前宮周辺の御頭御社宮司総社

 

祭神は土着の神であるミシャグチ神

 

御左口神社の総社と言われ、神長官守矢が守っていた。

 

お社には鹿の角が捧げられ、原始信仰の趣きを感じる。

 

神長官邸のみさく神境内社叢

 

当社叢は、次の樹種よりなる。
カジノキ(クワ科)目通り幹周1.70メートル
カジノキ(クワ科)目通り幹周1.10メートル
カヤ(イチイ科)目通り幹周2.25メートル
クリ(ブナ科)目通り幹周2.80メートル
その他

 

二本のカジノキは、それぞれ、およそ100年・40年の樹齢と推定される。植樹されたものがあるが、諏訪大社の神紋に由緒をもつ樹種で、当地方としては珍しく、また、貴重である。カヤ・クリも市内では大きい方であり、古い由緒をもつ当社を象徴する社叢として保存の価値を認めるものである。

 

みさく神は、諏訪社の原始信仰として、古来専ら神長官の掌る神といわれ、中世の文献「年内神事次第旧記」・「諏訪御符礼之古書」には「前宮二十の御左口神(みさぐじ)勧請・御左口神配申神は神長の役なり。」とある。このみさく神は、御頭(おんとう)みさく神ともよばれ、諏訪地方みさく神祭祀の中枢として重んぜられてきている。

 

茅野市教育委員会設置の説明板より

 

今回はここまでの散策で終わりにした。

 

神長官守矢史料館を見学するのはこちらを参考に
【神長官守矢史料館(じんちょうかんもりやしりょうかん)】 諏訪信仰の古き歴史を知る。

 

このまま、諏訪大社上社まで歩いていくのも良いし、車を止めている場所に戻り別の場所へ移動するのにもちょうど良い距離だと思う。

 

諏訪大社上社周辺を歩くのなら参考に
【諏訪大社本宮を歩く】 諏訪信仰の歴史を感じる散策

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