天王垣外遺跡の勾玉、管玉~東京国立博物館から115年ぶりの里帰り~【岡谷美術考古館】

天王垣外遺跡の勾玉、管玉~東京国立博物館から115年ぶりの里帰り~

天王垣外遺跡の勾玉、管玉

 

市立岡谷美術考古館移転開館十周年記念特別企画展「天王垣外遺跡の勾玉、管玉~東京国立博物館から115年ぶりの里帰り~」として、令和五年(二〇二三)七月十五日~九月十八日の間、開催されている。

 

明治四十年(一九〇七)に弥生時代の墳墓と思われる天王垣外遺跡(岡谷市中央町付近)から出土し、帝室博物館(現東京国立博物館)に買い上げられた勾玉や管玉十三点を、出土から百十五年ぶりに里帰りとして一堂に展示した。

 

天王垣外遺跡の勾玉と管玉は明治四十年(一九〇七)に平野村(現岡谷市)の道路工事中に土器の甕(かめ)の中から三百五十九点が見つかった。

 

弥生時代の勾玉、管玉の出土量としては当時国内最多で、翌年に帝室博物館が参拾円(現在の六十万円相当)で買い上げた。
勾玉は、翡翠や石英を原料に特徴ある三日月形に切り出され、大きさは最大三センチメートル、上辺に二~三ミリメートルの穴が開けられている。

 

小さな勾玉は、糸を通して環状に、管玉は鉄石英が原料の赤色の物もあり、ネックレス状に糸を通して展示してある。

 

石器しかない時代に棒状の翡翠に直径一ミリの穴を開ける技術の高さに驚かされる。

 

東京国立博物館に展示されていた岡谷関係の物は、天王垣外遺跡の勾玉と管玉だけとのことで貴重な品である。

 

コメ作りの伝播~天竜川をさかのぼる稲作~

 

水稲耕作という生産経済を中心とした弥生文化は、今から二五〇〇年前とも三〇〇〇年前とも言われ、北九州で始まり、遠賀川式土器を伴って東進し、濃尾平野にたどり着く。

 

濃尾平野から長野県への波及はやや時間をおいて、木曽川、矢作川、庄内川、豊川、天竜川などの河川を遡る形で波及した。

 

岡谷市内では、庄の畑遺跡が弥生時代の始まりを告げる遺跡となり、弥生文化が波及したのは約二二〇〇年前と思われる。

 

諏訪では水田の遺跡は未発見であるが、一般には、水田は湖沼河川の沖積地を利用しているので、諏訪湖で耕作地の制約はあるが、湖岸周辺の沖積地で行われていた可能性は高い。

 

弥生時代の遺跡の分布

 

弥生時代中期の住居跡の分布は、天王垣外、海戸、横道、岡谷丸山遺跡に多くの住居跡が発見されている。

 

また、住居跡はこの地域に集中しており、ムラが形成されていたと思われる。

 

天竜川を遡った諏訪への玄関口であることや、生産経済域(水田)の近くであったことが要因ではないかと思われる。

 

弥生時代後期には、天竜川沿いに移動し、特に橋原遺跡では五十八棟の住居跡が発見された。

 

当時、橋原、海戸遺跡を中心とした「ハシバラのクニ」があったのではと思われる。

 

発見された土器は、橋原式と型式設定され、伊那谷と北信の文化が融合して成立されたと考えられている。

 

一方、この時代の湖南では「イエシタのクニ」があり、この文化は東信経由で北信の影響を受けていると言われている。

 

天王垣外遺跡の玉類

 

天王垣外遺跡の玉類は、古記録によると「地中から土器に入った状態で発見された」とされ、玉類が埋納されていた土器は現存していない。

 

一緒に発見されたと伝えられる口縁部の欠損した壺が残されている。

 

このことから、一概に墓への副葬と決めつけられないが、他遺跡の様相から副葬としてよいとされている。

 

遺跡の玉類には、多くの石材が使用されている。

 

勾玉は硬玉(ヒスイ、一部石英)、管玉は碧玉、鉄石英、石英、小玉には水晶が使用されている。

 

これらの玉類の製作は、新潟県佐渡島に多くの製作遺跡があり、天王垣外遺跡の玉類と同じ素材である。

 

硬玉(ヒスイ)は原産地が新潟県小滝川にあり、この地から製作地へ運ばれたものと思われる。

 

水晶製小玉は、京丹後市の遺跡で加工されたものと似ている。

 

北信にも玉類の製作遺跡があり、天王垣外遺跡の玉類は、佐渡島、北陸地方、京丹後市、北信のいずれかで制作されたと思われる。

 

 

諏訪地域の弥生時代の水田が未発見であることから、その貧富を論じることは出来ないが、多量の玉の所有を考えると、かなりの有力な人物がいたと考えられる。

 

この人物は、天王垣外遺跡一帯の長かもしれないし、諏訪を束ねるような大王だったかもしれない。

 

玉類の製作地はかなりの遠隔地であり、高度な技術で作られ、簡単には手に入らない代物である。

 

周辺集落から集めた物なのか、周辺地域に玉造りの場があったのか、千曲川水系の文化と天竜川系の文化の交わる位置として、制作されたものを流通させる途中だったのか、なぜ、壺に入って多量に出土したのか、疑問は尽きない。

 

ただ、多量の玉類を獲得できるということは、この時期に諏訪地域だけではなく、各地に影響力を持っていた人物または集団がいたことは想像できる。

 

 

出典 岡谷美術考古館移転開館10周年企画館内展示説明資料より

 

岡谷美術考古館

 

岡谷美術考古館は、絵画、彫刻、工芸、書など郷土の優れた美術品と、市内遺跡から発掘された縄文時代から平安時代までの豊富な土器、石器類の美術と考古双方を展示している。

 

岡谷市海戸遺跡より出土した、顔が外側を向いた珍しいスタイルの「顔面把手付深鉢形土器」は、完全な形に復原された全国的にも数少ない土器として、国の重要文化財に指定されている。

 

また、「壷を持つ妊婦土偶」は、妊娠した女性をあらわし、豊穣と安産を祈願したものとされており、壷を抱えて腰に手をあてたポーズの完全な姿は、国内でただ一点という貴重な土偶が展示してある。

 

住所 〒394-0027 岡谷市中央町1-9-8
TEL 0266(22)5854
FAX 0266(22)5856
開館時間10:00~18:00
休館日水曜 祝日の翌日 12/29~1/3
料金特別企画展 大人520円(370)/小中学生260(160)/常設展 大人370(260)/小中学生160(110)/(10名以上の団体料金)/諏訪郡在住・在学の小・中学生、市内在住・在学の高校生は無料
駐車場岡谷美術考古館の駐車場は台数に限りがあるため、お車でお越しの方は、市営駐車場(5時間は無料)またはイルフプラザ北側駐車場をご利用ください。
交通アクセス長野道岡谷ICより車10分。JR中央本線岡谷駅下車徒歩5分

岡谷美術考古館のホームページ

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